※このイベントは終了いたしました、皆さまありがとうございました!
「つくるということ_菊地敦己×都築潤」
順延日程が2011年5月14日(土)に決まりました。詳しくはこちらです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日3月12日開催予定でした連続対談「つくるということ」は地震の影響のため延期となりました。予約していただいた皆さま、ご迷惑をおかけしてすいません。延期日程につきましては当ブログでもお知らせします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
©1986 未来への遺産過多_上
3月12日(土)18:00より青山ブックセンター本店で菊池敦己さんと対談をします。偶然お互いの企画で対談相手がダブってしまい去年のトークから引き続きとなりますが、どうやら今回は菊地さんがぼくに対していろいろな質問をぶつけ、ぼくの分かりにくい活動を明らかにさせようというのが主旨のようです。これは80年代からのプライベートの作品と仕事で描いているイラストレーションとを弁別し、去年の展覧会でもテーマにしたぼくが考える「絵」の問題を、対話を通して浮き彫りにするという試みでもあります。
©1987 ドップラー効果
こう書くと、イラストレーションはアートなのか、的な話題だと思われるので最初に断っておきますが、まず自分はそのように考えるタイプではありません。むしろその逆で、イラストレーションやグラフィックデザインとアートや美術を、聞き手がうんざりするほどしつこく分けて喋るタイプですし、そんなようなことを文章にも書いてきました。とにかくその手の普遍性をともなう議論は専門家の皆さんにお任せするとして、今回はきわめて個人的な「絵」についての話になるはずです。以下思いついたことを断片的に…
©1993 無題
さっき分けて考えるタイプだと言いましたが、ただし「これはイラストレーションではない、そもそもイラストレーションとは…」などと普段から無粋な発言をしているわけではなく、ごく普通に「サイゾーのイラストやばいっすよねー」と言ったりしています。分けて言うときはその必要がある時です。例えば「ある絵を見てそれがイラストレーションかどうか悩むということはできません。その絵が印刷されればイラストレーションだし、そうでなければただの絵です」という話をよくします。もともとイラストレーションとは印刷物の絵の部分、つまり図版の意味だからです。70年代のあるイラストレーターの個展で、このテーマに鋭く言及したものもありました。もちろんイラストレーションは「説明」とか「伝える」といった意味やエンターテインメントとしての役割を担ってもいますが、まずはこの図版、そして複製を前提とした方が、他の創作分野と比較する必要があるときには有効だと考えるからです。
©1997 ハッピーゲーム
サリンジャーの表紙にピカソの絵が使われている場合はそれをイラストレーションと呼べるのでしょうか。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会のポスターをデザインする計画が浮上し、イラストはモナ=リザでいきましょうとなった場合、その作画をイラストレーターに発注することがあるのでしょうか。またそうした絵がイラストなのか芸術なのか悩むことは、デパートの店内で流れるモーツァルトがBGMなのか芸術なのか悩むのと一緒です。というか悩めません。ではそのデパートの社長のへたな鼻歌を店内のBGMとして使うことはできるのか。これはさっきのモナ=リザと一緒で、不可能ではありませんがまずあり得ないんじゃないでしょうか。そしてその絵がイラストレーションなのかどうかという問題と、その絵がそのデザイン計画のイラストレーションとして相応しいかどうかの問題とは、次元が異なるので分けて考えないと混乱します。
©1999 忠犬ハチ公
イラストレーションについて考える面白さや難しさと「絵」について考えるときの面白さや難しさとは、これもまた次元の違う話です。目的が違うだけでなく描く動機からして違います。これは個人的な問題です。デパートのおもちゃ売り場のBGMを考える楽しさは「音楽」について考える楽しさとは違う(または同じだ)と言っている作曲家がいても、それはまったく個人的な問題です。同じだと言っている作曲家はそのことでとても苦悩が絶えないかも知れません。そういう話は良く聞きますし、そうしたつくり手のジレンマこそ美しいと思われることも多いようですが、ぼくの場合そのような苦悩は一切ありません。多分この二つのことが完全に分かれているからだと思います。
©2001 King of Eurasia
まだまだイラストレーションを取り巻く話題はたくさんあって、これらを考えることは愉快で楽しいのですが、今回はこっちの話はほとんどしないと思います。対談ではイラストレーションではなく概ね「絵」の話をすることになるでしょう。この「絵」のことをぼくはよく「上位概念の絵」と言ったりしています。「広く絵」とか「絵一般」でも良いのですが、とにかく「絵」だけだと発声しにくいからそう呼ぶことにしました。それは「音楽」でいうとモーツァルトから鼻歌まで含むとても範囲の広いものです。
菊地敦己 連続対談「つくるということ」
第6回 都築潤(イラストレーター)+菊地敦己
日時:2011年3月12日(土)18:30~20:30(開場18:00~)
料金:1,500円
会場:本店内・カルチャーサロン青山
「つくるということ_菊地敦己×都築潤」
順延日程が2011年5月14日(土)に決まりました。詳しくはこちらです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日3月12日開催予定でした連続対談「つくるということ」は地震の影響のため延期となりました。予約していただいた皆さま、ご迷惑をおかけしてすいません。延期日程につきましては当ブログでもお知らせします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
©1986 未来への遺産過多_上
3月12日(土)18:00より青山ブックセンター本店で菊池敦己さんと対談をします。偶然お互いの企画で対談相手がダブってしまい去年のトークから引き続きとなりますが、どうやら今回は菊地さんがぼくに対していろいろな質問をぶつけ、ぼくの分かりにくい活動を明らかにさせようというのが主旨のようです。これは80年代からのプライベートの作品と仕事で描いているイラストレーションとを弁別し、去年の展覧会でもテーマにしたぼくが考える「絵」の問題を、対話を通して浮き彫りにするという試みでもあります。
©1987 ドップラー効果
こう書くと、イラストレーションはアートなのか、的な話題だと思われるので最初に断っておきますが、まず自分はそのように考えるタイプではありません。むしろその逆で、イラストレーションやグラフィックデザインとアートや美術を、聞き手がうんざりするほどしつこく分けて喋るタイプですし、そんなようなことを文章にも書いてきました。とにかくその手の普遍性をともなう議論は専門家の皆さんにお任せするとして、今回はきわめて個人的な「絵」についての話になるはずです。以下思いついたことを断片的に…
©1993 無題
さっき分けて考えるタイプだと言いましたが、ただし「これはイラストレーションではない、そもそもイラストレーションとは…」などと普段から無粋な発言をしているわけではなく、ごく普通に「サイゾーのイラストやばいっすよねー」と言ったりしています。分けて言うときはその必要がある時です。例えば「ある絵を見てそれがイラストレーションかどうか悩むということはできません。その絵が印刷されればイラストレーションだし、そうでなければただの絵です」という話をよくします。もともとイラストレーションとは印刷物の絵の部分、つまり図版の意味だからです。70年代のあるイラストレーターの個展で、このテーマに鋭く言及したものもありました。もちろんイラストレーションは「説明」とか「伝える」といった意味やエンターテインメントとしての役割を担ってもいますが、まずはこの図版、そして複製を前提とした方が、他の創作分野と比較する必要があるときには有効だと考えるからです。
©1997 ハッピーゲーム
サリンジャーの表紙にピカソの絵が使われている場合はそれをイラストレーションと呼べるのでしょうか。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会のポスターをデザインする計画が浮上し、イラストはモナ=リザでいきましょうとなった場合、その作画をイラストレーターに発注することがあるのでしょうか。またそうした絵がイラストなのか芸術なのか悩むことは、デパートの店内で流れるモーツァルトがBGMなのか芸術なのか悩むのと一緒です。というか悩めません。ではそのデパートの社長のへたな鼻歌を店内のBGMとして使うことはできるのか。これはさっきのモナ=リザと一緒で、不可能ではありませんがまずあり得ないんじゃないでしょうか。そしてその絵がイラストレーションなのかどうかという問題と、その絵がそのデザイン計画のイラストレーションとして相応しいかどうかの問題とは、次元が異なるので分けて考えないと混乱します。
©1999 忠犬ハチ公
イラストレーションについて考える面白さや難しさと「絵」について考えるときの面白さや難しさとは、これもまた次元の違う話です。目的が違うだけでなく描く動機からして違います。これは個人的な問題です。デパートのおもちゃ売り場のBGMを考える楽しさは「音楽」について考える楽しさとは違う(または同じだ)と言っている作曲家がいても、それはまったく個人的な問題です。同じだと言っている作曲家はそのことでとても苦悩が絶えないかも知れません。そういう話は良く聞きますし、そうしたつくり手のジレンマこそ美しいと思われることも多いようですが、ぼくの場合そのような苦悩は一切ありません。多分この二つのことが完全に分かれているからだと思います。
©2001 King of Eurasia
まだまだイラストレーションを取り巻く話題はたくさんあって、これらを考えることは愉快で楽しいのですが、今回はこっちの話はほとんどしないと思います。対談ではイラストレーションではなく概ね「絵」の話をすることになるでしょう。この「絵」のことをぼくはよく「上位概念の絵」と言ったりしています。「広く絵」とか「絵一般」でも良いのですが、とにかく「絵」だけだと発声しにくいからそう呼ぶことにしました。それは「音楽」でいうとモーツァルトから鼻歌まで含むとても範囲の広いものです。
菊地敦己 連続対談「つくるということ」
第6回 都築潤(イラストレーター)+菊地敦己
日時:2011年3月12日(土)18:30~20:30(開場18:00~)
料金:1,500円
会場:本店内・カルチャーサロン青山
この記事にコメントする
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
最新記事
(06/08)
(06/08)
(08/31)
(10/21)
(09/03)
カテゴリー
関連グッズ
ブログ内検索