※イベントは終了しました
第四表現主義(仮)について語る会ってなんだろう。
中ザワヒデキは20年以上前から美術史は循環しているという考えの持ち主だ。どういう循環かというと、「表現主義→反芸術→多様性」→「表現主義→反芸術→多様性」→…といった感じで、3つのタームがワンセットとなり旧来繰り返されてきたというのである。この循環法則によって現在4回目となる表現主義のタームが日本に訪れていて、だからこれを第四表現主義と呼び、このことについてリアルタイムに語ろうというのがこのイベントの目的だ。その渦中にある集団は複数存在し、それぞれの代表者が参加することとなった。
第四の表現主義到来の前にはもちろん第一から第三までがある。第一が「フュウザン会」第二が「アンフォルメル旋風」第三が「ヘタうま」というぐあいに、表現主義も反復してきたというのが中ザワ氏の説である。じゃあその表現主義ってなあに?とみんな思うかもしれないけど、その説明は中ザワ氏からトークイベントの冒頭にあるだろうし、参加者の間でも話合いがおこなわれるだろう。
ということで今回の企画での私の役割がいったい何か考えてみた。おそらくそれは第三表現主義「ヘタうま」の当事者、証言者ということだと思うので、これについて少しだけ解説したい。まず中ザワ氏と私のヘタうまの語の使用は少々異なる。中ザワ氏は80年代を席巻したヘタうま現象、それは日本グラフィック展、ニューペインティングの渡来、芸大旋風、諸々のそれこそ表現主義的傾向の絵全般を指していう場合が多い。そしてこの当時、東京の渋谷を中心としてこのようなさまざまな出来事が私たちを覆い尽くしたのだった。(渋谷系と間違えないようにね)そして中ザワ氏は同じヘタうまという言葉でフュウザン会についてもあぶり出している。今回のヘタうまはこちらの意味ととっていいだろう。しかし私がよく口にする場合のヘタうまはこの本にも書いた通り、最終的には湯村輝彦の作風ということで一応の区切りがついている。ヘタうまブームといった全般的な現象ではなく、一人の天才の作画における特殊な傾向という結論に落ち着いたのだった。
2人の言葉の使用にこうした違いはあるが、湯村氏を震源地とするヘタうまが、日本に渡来したニューペインティングに先んじていた、そして次第に融合された、という認識は共通している。ヘタうまとはそれほど桁外れな出来事だったのである。現在はすっかり市民権を得たヘタうまという単語をフツーに使っている皆さんにはこのことがピンと来ないかもしれないけど、ぜひこの機会にその意味の不思議さを楽しんでいただければと思う。
さて中ザワ氏と私は、絵画、あるいは絵というものについて「ベクターvsビットマップ」という考え方を共有しているのだけど、これは美術史でいわれているところの「フィレンツェ派vsベネチア派」の構図と同じだ。というよりそのものであり、端的にいえばルネサンスからのこの構図が今も続いているだけなのである。とにかくこれを基本に各々いろんなことを考えているので、ほぼ今までの対談ではその話題が主だったのだけど、今回は中ザワ氏独特の循環史観の話だし、参加者多数のトークということで話がどう転ぶかわからない。
こんな第三表現主義現象の渦中にいた立場から、今回は第四表現主義を俯瞰してみたいと思う。いや俯瞰してる場合ではないかも知れない。なぜなら事態は循環しながら今も続いており、おこっているこの状況に自らアンガージュしなければ前に進めないのだから。これ参考文献!ゲッ・・・・ツ!
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