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かつてない繁忙をきわめた二ヶ月を過ごし、やっとのこと普段の生活に復帰できたという感じがしてます。で、とりあえずなんですが少し前に描いたコントローラの絵をアップしました。ここにも描いたNINTENDO64のコントローラがとても好きで、発売当時色違いで四つ買ったんですが、中でもこの黄色が色といい艶といい最高で、それ以後ここまでいい感じの黄色い物体には出会ったことがありません。無理に形容すれば「美味しい」あるいは「美味しそうな」黄色です。

黄色という色は元々好きなのだけど、ここまで美味しい感じがするのはその鮮やかでマットな着色のせいだと思ったものの、それっきりそんなに考えてませんでした。でも今あらためて感じるのはコントローラーの形に何か根本的な原因があるような気がします。形だけではなく、形と色の組み合わせというか、あるいは他の部分の赤、青、緑、グレーとの響き合いや、量や大きさも含めたバランスとでもいうのでしょうか。

しかし何ともいえない見事な形状です。これは宮本茂のコントローラーへのこだわりの結晶だという文章を、どこかの記事で読んだような気もしますが、でもそういうこととは特に関連なく、単品では本来の意味をなさないところも含め、この物体が今でも大好きです。持ち方が変ですけど。


母親と再開する二人の息子の絵を何となく描いてみた。仕事だから何となくという言い方は語弊があるけど、線の緩さというか気ままさがほんわかした雰囲気をつくり出すという意味で、何となくという印象がふさわしい。かといって画面のすべてを無意識に描き抜いたわけじゃなくて、ちょっと迷った上で配置したのが着物姿の女性だった。本来このシチュエーションだと女性は手を挙げてる男性二人の手前にいなければならないが、足下の接地点をみると、右のビジネスマンらしき男の真横にいることになっちゃうので、空間的にはどうしても違和感が出る。この違和感が不安を誘うから面白い。しかし男二人がひとりの女性と出会ったという、事態そのものに変わりはない。

ドローイングとはそもそも線を引くことだけど、絵で素早く説明するときはいちいち色を塗って描くよりも、線画の方が簡潔に見る人の記憶にも要点を刻んでくれる。こうした場合ペインティングよりもドローイングの方が合理的なのだ。たった10秒で説明しろと言われたとき、悠長に色を塗ることはない。色という物質的な要素はかえって情報伝達の邪魔になるし、色を塗るという行為は多種多様な選択を伴うものでそれなりに時間を必要とするからだろう。

イラストレーションという言葉には「説明」の意味が強く含まれる。だから線画こそイラスト本来の姿だと言うこともできる。事実そう考えるイラストレーターは多いし間違ってはないが、ただそれだけをイラストレーションとすることには無理がある。まあ、それはそれとして、ウィリアム・ブレイクが彩飾写本の細密画から継承しようとした精神は、線画こそが物事の「本質」を力強く表現する技法であり、この本質を人から人へ伝播させるための最良の手段だと確信したからだろう。この精神はラファエル前派に受け継がれた。

現象はうつろう。本質とはその時々の観察によって色で表現する現象のようなものではない。思ったことを素早く記述するのが本質だ。タイマーで時間をはかって短時間で繰り返しおこなうクロッキーは、こうした感覚をやしなうドローイングの訓練だが、それは一枚に時間をかけるような緻密な観察に比重をおかない。「描きなれる」ことを要求する。本質=線=形とはそういう性格のものだ。

たとえばデジタルグラフィックの世界では、アドビのイラストレーターというアプリケーションソフトがこのドローイングの役目を担っている。イラストレーターにはアートワーク(今はアウトラインと呼ばれてるらしい)という、描き手が思ったことをのぞき見られる機能があり、このアートワークによって、色を塗り重ねた絵でもスケルトンのように形を透かして見ることができちゃうのだ。これがイデアであり考えたことの本質だ。アイデアともいう。
 

新しいPCが届いてからまだグラフィックのアプリケーションを入れてないのでスキャニングができない。そういうわけもあってデザインされた作品データのアップもできないので、何となく最近描いた絵を上げました。左側は仕事で使った絵、従来ならこれがイラストレーションの原画ということになります。右側はただ描いた絵、別にイラストレーションとして使用したものではありません。通常そんなことにこだわる必要は全然ないんです、がしかし…ということでネタになる画像もないので、去年書いた美手帖の特集についてのエクスキューズを少々。

いただいた感想の中で多かったもののひとつは「美術の絵画作品とイラストレーションの違いが分かりました」というものだったんだけど、けっこうこうした気楽な反応こそ自分が心配していたものでしたw 少し詳しく説明すると、あの特集では美術作品とイラストレーションを比較してその違いを述べたつもりは全くなくて、美術作品とイラストレーションを比較するということ自体が虚構だ、と書いたんです。なぜかというとイラストレーションとはあえて言えば印刷物のことであって、絵の性質や傾向を指すのではなくて絵のおかれた状態、状況を指す言葉だからです。だから比較精度を上げて比べるなら、ルーブル美術館に行ってモナリザの横にモナリザが印刷された複製物を掛けて並べて比べる、そういうことになると思います。でも美術作品とイラストを比べることって、まさかこんなふうにモナリザとモナリザを比べることを想定してませんもんね。

双方を比較すると言った時は多分こういう状況を想定してのことだと思います。例えば美術の絵画作品と言われてるそれらしい絵といわゆるイラストの原画を比べて、ふつう芸術的だから美術、説明的だからイラスト、なのにこの絵は美術と言ってるくせに何か説明的だし世俗的だからホントはイラストなんじゃない?とか、このイラストレーションはちょっとワイルドな塗り方で抽象的でチンプンカンプンだから美術じゃない?という比べ方です。こういう比較がナンセンスであって、比較の意味をなさない虚構だということを書いたんです。

ホントは原画をただ印刷して複製した状態をイラストレーションと言うかというと、それだけでは不充分だと思ってます。マスであることが必須だというのが持論です。そしてグラフィックデザインの要素となって初めてそう呼ばれるのがふさわしいと、ぼくは考えてます。しかし原画を複製した版画は18世紀のフランスでは一枚であってもイリュストラシオンと呼ばれていました。イリュストラシオンはフランスの絵新聞のタイトルとしても有名です。19世紀にミュシャも表紙を描いてたやつで、どちらかといえばこっちがマスでしょうね。

発注されようがされなかろうが、説明的であろうがなかろうが、「伝える機能」が内蔵されていようがなかろうが、とにかくイラストレーションとは印刷物、正確には印刷物の図版、ここで一旦切る。これが基本だと考えてます。


近作のデータを失ってからブログの更新も滞ってましたけど、その間こんな仕事をしたのでアップします。メトロミニッツって結構メジャーなフリーペーパーなんですね。東京メトロの駅に置かれてるのだからそれもそのはずなんですが、今やフリーペーパーも駅構内の風景にとけ込んじゃってなかなか目立ちません。でもそうも言っちゃいられない。ポスターが一方的に見せるための媒体なら、フリーペーパーは見る側が情報を欲しいと思って取りにいく。つまり能動的になれる要素はこちらの方が高いわけで、考えてみればインタラクティブ性の高い紙メディアだということになります。かつラックの設置を工夫すれば整然と並んだその表紙はB倍ポスター以上の迫力を出すと考えると、これは印刷メディアだけど立体化、オブジェ化する場合もありうる。う〜んなかなか奥深い、と思って配布日に新宿駅に行ったらもう一冊もありませんでした。この絵が並んだ壮観な出で立ちを写メしようと思ってたのに…。でも楽しく描けたので制作上はいっさい問題ありませんでした。



ポスターの立体化、言い換えれば広告が印刷図版から多媒体化を遂げた出来事が80年代に突如起こります…というのは言い過ぎかな。でも当時の印象はまさにそういう衝撃でした。こんなエピソードを含むイラストレーションの特集を組んだ美術手帖が、もうすぐ発売されます。後日ブログにも情報をアップしますが、たぶんこれまでにない資料性の高さとなるはず。ぜひお求めを。
 
©2009 Canon Inc.

PRAXIS はキャノンの POD(プリント・オン・デマンド)で仕上げたフリーペーパーです。オンデマンド・プリントの特性や利便性を「情報」の流れ方や取り入れ方に関連づけて考えるのはとても面白いのだけど、その表面を飾るデザインやイラストレーションにとってはどうなんでしょうね。オンデマンドの技術を用いて発行数を限定したり好みのアレンジを選択できるようにして付加価値を上げる、といったような月並みなアイデアしか今は見つからないのも事実です。どうもこの件に関して自分の発想には限界があるようなのでやめますが、そのうちコペルニクス的な転換でもって良いアイデアが出そうになったら、その時は改めて書こうと思います。

そんなわけで表紙イラストの話。この絵がイラストレーションとして使われるのは、つまり印刷媒体として使われるのはこれで4回目で、大判にプリントして展示したこともあるのでそれを入れると5回複製されたことになります。最初は雑誌で使用され、それから年鑑への掲載、教科書、そして今回と、こういうケースはとても珍しいとの旨を以前のレポートにも書きましたが、1枚の絵が4回使用されるということは、イラストレーションとしての耐久性というか汎用性というのか、そういう秘訣が絵の中に隠されているのかも知れませんね…と自画自賛できるほど、気に入ってるわけでもないところがまた不思議なんですが。

しいて言えば、3連の絵の1枚が後ろ向きの人だけで構成されているので、これがシリーズ全体の印象を左右することは確かで、飽きのこない秘訣はそこにあるのかも知れません。特に秘訣というほどものでもないか。でもこのことはポイントでしょうね。後ろ姿によって何らかの情緒を引き出そうとしたわけではなく、連作の中のアクセントとして面白いと思ったことは描いた当時の記憶にもあるし、いま見てもこの1枚抜きにはありえない感じはします。いっそ全部後ろ姿で「集合」を描いたら、それはそれでかなりイケるのかも知れません。

それと今ふと思ったんですが、この絵が印刷された4回のうちイラストレーションの一般的イメージである「文章の内容を説明する」という役割でその機能を求められたのは最初の1回だけでした。2回目と3回目はイラストレーターの作品紹介を目的とした単なる「図版」として使用され、この4回目にして表紙イラストと作品紹介の機能を兼ねるという、そういう複合的な使われ方に至ったわけです。展覧会用にプリントした1回を加えるとさらにややこしくなる。つまり役割を変遷させながらその時々の要請にしたがって繰り返し複製されてきたってことですよね。…だから何だよって話ですけどw
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