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※こちらのイベントは修了いたしました

むかし情報を握っていた一部のつくり手が大衆を喜ばせた時代があった。情報の格差がつくり出す構図そのものが隠かくされていたので、そのつくり手がなぜ自分たちを魅了するのかは考えず、ただ彼らを特別な存在だと信じていた。情報を摂取することが容易になってそのひとつひとつは軽くなったけど、かわりに様々な情報の組み合わせを駆使してヤバいものをつくり出す情報キングが現れた。あふれる情報に慣れた多くの人々も、それらが自分たちのパターン認識に響くことを理解した上で、その組み合わせのセンスに唸った。それは希少な情報を多く握ることでアドバンテージが得られるというゲームだったのだろう。

その時代の情報格差がさまざまな情報キングを生んだ。しかし格差のない成熟した社会ではもはや情報を操るゲームそのものが陳腐となり、キングであることに意味がなくなる。彼らはそれまで躍起になっていた情報収集をやめ、情報取り扱いの煩わしさから自分を解放し楽になれる状況を望むようになった。ここから次のステージが始まるのだが、この楽になれる状況とは自由になることをはたして意味するのだろうか。

KATHYの三人と水野健一郎がルールとして共有しているのは、自由ではなく縛られ操られているという状況だ。彼らが操られているその運動の中から自動的に示され、記述された痕跡を表現というのであれば、情報とは人が操るものではなく操る主体であること、そしてそれが新しいステージの人と情報との戯れ方であることを見事に表現してはいないだろうか。

操る主体はKATHYと呼ばれている。KATHYの三人と水野健一郎はKATHYから指令を受け自動的に表現しているというが、その指令はこれまでの情報とは違うもっと高度で認識不可能な「パターン」なのかも知れない。山本ムーグさんとのトークでこれを検証したいと思う。

KATHY's New Dimension
日時:7月10日(日)17:00〜
場所:NADiff 地図

※トークイベントは入場無料ですがIKEBANAのライブと「炎のメーリーゴーランド」上映については有料となります
※6月のトークイベントはすべて終了しました!お越しいただいた皆さまありがとうございました!

こんにちはー!6月は展覧会目白押し、ギャラリートークを3つやります。
ゴンゴンこと長嶋五郎の「ヤッホー山脈吉原航平参加の「一枚の絵の力榊原美土里の「愛とバカ」それぞれの展示の関連イベントです。とはいっても三人の皆さんはお互い他人同士なので、シリーズ企画でもなんでもなくて、たまたま時期が重なっただけのこと。場所も、リトルモア地下、3331、ガーディアンガーデンと、方向性もバラバラでいい感じです。さしあたってこれらの催しの情報を順次あげていくことにしました。
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※「愛とバカ」ギャラリートークは無事終了しました

榊原美土里さんは多摩美のグラフィックデザイン科を卒業してまだそんなに経ってないそうです。どういうイキサツで「1_WALL」に応募したのかは分かりません。おじいさんや動物、食べ物を厚紙に描いて関節で切断、バラバラにしたものをハトメでつないで合体させ、ぶら下げたりダンスさせたり、多くのものはお土産用にパッケージされたりします。時々バラバラのパーツのまま壁に貼ってあるかと思えば、合体させる部品を間違えてチグハグに連結されているものもあり、創作姿勢はフレキシブルというか奔放というか、気ままにつくられた空間がとても清々しく感じられます。しかし作者本人が清々しいとは限りません。

榊原さんは根本的にこれで何をしたいのか、人に喜ばれたいのかお金をがっぽり稼ぎたいのか、先々にわたってどのようなビジョンを持っているのかを対談によって浮き彫りにしたいと思いますので、よろしくねヽ(・ω・)

「愛とバカとトークイベント」
日時:6月24日(金) 18:30〜20:00
場所:ガーディアン・ガーデン 地図
入場無料、予約不要。お気軽にお越しください。
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※「一枚の絵の力」トークイベントは終了しました

うす墨で丹念に描かれたこれらの個物が主張するのは、物体としての形態なのか物質としての色調なのか、それともそれを「もの」として人が認識するための最小限の存在として、あるいは単なる現象としてそこに在るだけなのだろうか。古代の遺産にひそむ精霊やアンティークにやどる使い手の精神というものに関心が薄いわたしでも、描くという運動が描き手の意志を超えて自己創造されていった経緯や痕跡には、絵というものの根源的な何かを感じてしかたがない。吉原航平の作品において問題にしたいのは、成果ではなくプロセスなのである。

展示専用ブログページ

日時:6/11(土)18:00~
場所:3331 Arts Chiyoda / 1F メインギャラリー 地図
入場料:無料(募金BOXを設置しておりますので、応援お願いします)
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※「ヤッホー山脈」のイベントは終了しました

この一見不吉な絵はゴンゴンの「ヤッホー山脈」出品作品です。でも作者自身の音声ガイドによると特に不吉に描こうとしてるわけではないようです。背景に描かれている山に関しても、ハイキングとか山岳信仰が好きなわけではなく、四角い画面に三角形を描いてるとそれが徐々に山になっていくという、絵を描くプロセス自体に心が惹かれるとのこと。しかしそのわりには山の麓に暮らすアイルランド人の生活についても話の中でちょっとふれていて、そんな場当たり的な姿勢にもたいへん好感が持てるアーティストです。

イベントではダンスやコンサートも楽しめます。しかし肝心のトークのテーマがまだ決まってません。とても不安なので早く決めてほしいものですが、相手が主役のゴンゴンではなく、ゲストで詩人の長嶋南子さんらしいとの話もあり、したがって詩の話題かも知れません。詩については萩原朔太郎くらいしか知らないのでどのみち不安な上に、この方の名字がゴンゴンと同じ長嶋というのが一層不安を駆り立てます。

日時:6月3日(金)18時 OPEN
場所:リトルモア地下 地図
入場料:1500円 定員40名 要予約

出演:長嶋南子(詩人)、嶺川貴子(ミュージシャン)、篠崎芽美(ダンサー/珍しいキノコ舞踊団)、都築潤(イラストレーター)

※予約専用のWEBフォームがあります
先日青山ブックセンターでおこなわれた菊地敦己連続対談「つくるということ」は無事終了いたしました。

今振り返ると肝心なことを話し忘れていました。自分の中に「絵」というものに対する問いが生まれて、それを何とかしようとすることで(結局解決はしないけれど)運動が生まれ、それが何かをつくる示唆となり、誘因となっていく。そうした体系的なサイクルが「つくるということ」の正体ではないか…という話を、忘れないうちに最初にしたのは良かったんですが、肝心の、じゃあ具体的に何を自分がつくってきたのかをぜんぜん話してませんでした。自分の中に生まれた問いが、それらにどのように繋がったのか、という話も。

ただこの対談は文章おこしされるということで、そのための補足のミーティングがあるそうなので、そこでしっかりと解説したいと思います。しかし二時間もいったい何を話していたんだろうか。
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最近はイベントのインフォメーションばかりで仕事のことを書いてなかったので、ちょうど今京橋のAGCスタジオというところで開催されている、展示会についてご報告します。「ガラスにできること」というこの展示に使うビジュアルです。このガラスに関するさまざまなお話を書いているのはみかんぐみの皆さんです。これにぼくが描いたビミョウな表情のイラストを使用して、クールで味わいのあるビジュアルをディレクションされたのが、ADの則武弥さんです。今週中に現場に行って写真を撮ってきまーす。つづく…

 

…行ってきました。スタジオ内部には外から隅々まで見通せる、清涼感のある空間が広がっています。一階奥には体験スペースがあって、ここで遮熱、断熱、結露防止、防音といった、新素材というか新技術をためせるだけでなく、従来のものと比較してその歴然とした違いが体験できるよう工夫されていました。同じ透明なガラスなのにどうして熱や音を遮るのか、受付の女性の方が丁寧に説明してくれたのですがほとんど覚えていません。難しい理由ではなかったと思います。

  

二階は、さまざまなガラスのサンプルや実験用具、ガラスにまつわる書籍などが陳列してあり、フロア全体を見渡しても余計なものがなくとても気持ちの良いスペースです。特に似たところはないのに、子供の頃よく行った逓信総合博物館を思い出しました。しばらくすると奥の方からアドバイザーの方が出てこられ、ご挨拶までいただいたにもかかわらず、気の利いた質問もできずただただ恐縮するばかりでした。今度はガラスについてもう少し勉強してから来ようと思います。


※終了いたしました、ありがとうございました

伊藤桂司さんと一緒にした最初の仕事は、87年頃水戸で描いた階段壁画だったと思います。上の階の藤田新策さんと下の階の伊藤さんにはさまれて熱帯植物の絵を描いていて、たしかバケツか何かを伊藤さんから借りた記憶があります。その頃こうした壁画やオブジェ設置のような空間演出の仕事は、イラストレーションではなく「アート」と呼ばれていました。もちろん壁面装飾や立体造型の技師というか専門職の皆さんはいたのですが、作者である「アーティスト」に感情移入する仕組みでその企画が成り立っていたため、単純に職人的な仕事は違う成立の仕方であったはずです。

その5年後、光村図書という出版社で、伊藤さんとぼくを含めた4人で絵を描いたことがあります。この時は他に河村要助さんと谷口広樹さんがいて、50号のキャンバス2枚に、子どもや地球、植物、動物、昆虫、滝、等々を描きました。森羅万象というテーマだったのか、無制限に何でも描いたような気がします。いわゆるコラボレーション・ペインティングで描かれたこの絵が、生活科の教科書の表紙に使われました。打合せの時、河村さんがあまり人の話を聞かず、紙にひたすら絵を描いていたのを覚えています。ディレクションをしてくれたのは東泉一郎さんでした。

その2年後、大阪の阪急ファイブの催し会場にお客さんを招き、再び伊藤さん谷口さんと9枚の100号キャンバスに即興で絵を描きました。これは俗にいうライブペインティングというもので、昼頃から夜にかけて100号9枚ですからかなりヘトヘトになりながら作業したのですが、数枚のスナップ写真くらいしか記録がないし、作品もどこに保管されているのか、あるいは捨てられたのか、今もって謎のままです。ぼくはこの時何を描くかより、どのように描くかばかりを考えながら作業しました。伊藤さんの画集「而二不二(ににふに)」の発売記念イベントだったと思います。

伊藤桂司さんの過去作品を中心とした展覧会がスピークフォーで始まります。その初日にギャラリートークをやりますので、よろしかったらお出でください。過去から現在までの、伊藤作品を俯瞰できる数少ない機会だといえるでしょう。それにしても40分って短いなあ。

日時:2011年4月29日(祝)18:00(~18:40)
場所:ギャラリースピークフォー 地図
入場無料 予約不要
※このイベントは終了いたしました、皆さまありがとうございました!

「つくるということ_菊地敦己×都築潤」
順延日程が2011年5月14日(土)に決まりました。詳しくはこちらです。
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先日3月12日開催予定でした連続対談「つくるということ」は地震の影響のため延期となりました。予約していただいた皆さま、ご迷惑をおかけしてすいません。延期日程につきましては当ブログでもお知らせします。
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©1986 未来への遺産過多_上

3月12日(土)18:00より青山ブックセンター本店で菊池敦己さんと対談をします。偶然お互いの企画で対談相手がダブってしまい去年のトークから引き続きとなりますが、どうやら今回は菊地さんがぼくに対していろいろな質問をぶつけ、ぼくの分かりにくい活動を明らかにさせようというのが主旨のようです。これは80年代からのプライベートの作品と仕事で描いているイラストレーションとを弁別し、去年の展覧会でもテーマにしたぼくが考える「絵」の問題を、対話を通して浮き彫りにするという試みでもあります。


©1987 ドップラー効果

こう書くと、イラストレーションはアートなのか、的な話題だと思われるので最初に断っておきますが、まず自分はそのように考えるタイプではありません。むしろその逆で、イラストレーションやグラフィックデザインとアートや美術を、聞き手がうんざりするほどしつこく分けて喋るタイプですし、そんなようなことを文章にも書いてきました。とにかくその手の普遍性をともなう議論は専門家の皆さんにお任せするとして、今回はきわめて個人的な「絵」についての話になるはずです。以下思いついたことを断片的に…


©1993 無題

さっき分けて考えるタイプだと言いましたが、ただし「これはイラストレーションではない、そもそもイラストレーションとは…」などと普段から無粋な発言をしているわけではなく、ごく普通に「サイゾーのイラストやばいっすよねー」と言ったりしています。分けて言うときはその必要がある時です。例えば「ある絵を見てそれがイラストレーションかどうか悩むということはできません。その絵が印刷されればイラストレーションだし、そうでなければただの絵です」という話をよくします。もともとイラストレーションとは印刷物の絵の部分、つまり図版の意味だからです。70年代のあるイラストレーターの個展で、このテーマに鋭く言及したものもありました。もちろんイラストレーションは「説明」とか「伝える」といった意味やエンターテインメントとしての役割を担ってもいますが、まずはこの図版、そして複製を前提とした方が、他の創作分野と比較する必要があるときには有効だと考えるからです。


©1997 ハッピーゲーム

サリンジャーの表紙にピカソの絵が使われている場合はそれをイラストレーションと呼べるのでしょうか。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会のポスターをデザインする計画が浮上し、イラストはモナ=リザでいきましょうとなった場合、その作画をイラストレーターに発注することがあるのでしょうか。またそうした絵がイラストなのか芸術なのか悩むことは、デパートの店内で流れるモーツァルトがBGMなのか芸術なのか悩むのと一緒です。というか悩めません。ではそのデパートの社長のへたな鼻歌を店内のBGMとして使うことはできるのか。これはさっきのモナ=リザと一緒で、不可能ではありませんがまずあり得ないんじゃないでしょうか。そしてその絵がイラストレーションなのかどうかという問題と、その絵がそのデザイン計画のイラストレーションとして相応しいかどうかの問題とは、次元が異なるので分けて考えないと混乱します。


©1999 忠犬ハチ公

イラストレーションについて考える面白さや難しさと「絵」について考えるときの面白さや難しさとは、これもまた次元の違う話です。目的が違うだけでなく描く動機からして違います。これは個人的な問題です。デパートのおもちゃ売り場のBGMを考える楽しさは「音楽」について考える楽しさとは違う(または同じだ)と言っている作曲家がいても、それはまったく個人的な問題です。同じだと言っている作曲家はそのことでとても苦悩が絶えないかも知れません。そういう話は良く聞きますし、そうしたつくり手のジレンマこそ美しいと思われることも多いようですが、ぼくの場合そのような苦悩は一切ありません。多分この二つのことが完全に分かれているからだと思います。


©2001 King of Eurasia

まだまだイラストレーションを取り巻く話題はたくさんあって、これらを考えることは愉快で楽しいのですが、今回はこっちの話はほとんどしないと思います。対談ではイラストレーションではなく概ね「絵」の話をすることになるでしょう。この「絵」のことをぼくはよく「上位概念の絵」と言ったりしています。「広く絵」とか「絵一般」でも良いのですが、とにかく「絵」だけだと発声しにくいからそう呼ぶことにしました。それは「音楽」でいうとモーツァルトから鼻歌まで含むとても範囲の広いものです。

菊地敦己 連続対談「つくるということ」
第6回 都築潤(イラストレーター)+菊地敦己


日時:2011年3月12日(土)18:30~20:30(開場18:00~)

料金:1,500円

会場:本店内・カルチャーサロン青山
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